妊娠していないのに、乳腺が張り、お乳が出る
妊娠可能なメス犬に起こり得る「偽妊娠」
メスの愛犬が、妊娠していないのにお乳が出たり、巣づくりを始めたりすることがある「偽妊娠」。
人間の「想像妊娠」とはメカニズムが異なり、妊娠していない、妊娠可能なすべてのメス犬に起こり得る。

【症状】
妊娠していないのに、乳腺が張り、お乳が出る

イラスト
illustration:奈路道程

 「おかしいな」。うちの愛犬は室内飼いで、散歩の時もリードを付け、外で放したこともない。この前の発情期に、近所のオス犬と遭遇したこともなかった。それなのに、このごろ、乳腺が張りだして、ついにはお乳まで出始めた。「妊娠していないのに、どうして…」。そんな現象を「偽妊娠」という。
 では、偽妊娠とは何だろうか。人の場合、一般に「想像妊娠」と言われるものがある。例えば、「ぜひ、赤ちゃんがほしい」。あるいは「妊娠したら困るんだけど…」。そんな強い思いが女性の性ホルモンの分泌を刺激し、実際は妊娠していないのに妊娠したと思い込み、生理が止まり、つわりが起こり、乳腺が張ってと、妊娠時の体の変化と同様のことが起こってくる。しかし、検査して妊娠していないことが分かると、すぐにそれらの現象が消えてしまう。想像妊娠はあくまで人の“思い込み”が誘発する現象なのである。
 しかし、犬の場合、「ぜひ、赤ちゃんがほしい」とか「妊娠したら困るんだけど…」と思いつめ、さらには自分が「妊娠したに違いない」と思い込むとは考えにくい。
 犬の偽妊娠は、犬の思いとは無関係に、実際は妊娠していなくても、妊娠したのと同様の体や行動の変化が起きることである。なぜそんなことが、犬の場合、起こりやすいのだろうか。

【原因とメカニズム】
偽妊娠は妊娠時同様に分泌される性ホルモンの働きによる
   偽妊娠を知るには、犬の「性周期」と「妊娠のメカニズム」を知ることが大切である。

性周期と妊娠のメカニズム
 メス犬は、生後約半年から10か月ぐらいの間に、「性成熟」に達し、妊娠可能な「初発情期」を迎える。以後、約半年から10か月周期(性周期という)で「発情期」を繰り返していく。
 メス犬の性周期は、「発情前期(9日前後)」「発情期(9日前後)」「発情休止期(60日前後)」「無発情期(発情休止期と発情前期の間の期間)」の4段階で成り立ち、その周期は、脳下垂体から分泌される「卵胞刺激ホルモン」や「黄体形成ホルモン」、「乳腺刺激ホルモン」と、卵巣から分泌される2種類の女性ホルモン「卵胞ホルモン(エストロジェン)」と「黄体ホルモン(プロジェステロン)」の働きに基づいている。

発情前期
 発情前期とは妊娠準備期間にあたり、脳下垂体から卵胞刺激ホルモンが分泌されて卵巣からエストロジェンが活発に分泌され、外陰部が膨らみ、卵巣内の卵子を発育させ、子宮内膜が充血してぶ厚くなる(この期間、子宮内膜の毛細血管が切れて出血することがある。一般に、これを「犬の生理」というが、人の場合とはまったく異なる)。

発情期
 次の発情期とは、メス犬がオス犬との交尾を許容する期間である。これは「黄体期」とも言われ、脳下垂体から黄体形成ホルモンが一気に出て卵巣を刺激し、プロジェステロンを活発に分泌するようになる。このプロジェステロンの影響で子宮内の子宮腺が発達し、子宮乳を分泌して、受精卵の着床準備を行う。 なお、黄体形成ホルモン分泌の2日か3日後に排卵が起こり、そのころに交尾すれば、卵管の途中で卵子が精子と出会い、受精(妊娠)する可能性が高い(受精卵は、細胞分裂しながら卵管を下り、受精後約3週間前後で子宮内膜に着床する)。

発情休止期
 発情休止期になれば、しばらくはプロジェステロンがさらに活発に分泌され、やがて下降していく。そして、排卵後約40日前後になると、脳下垂体から「プロラクチン」という乳腺刺激ホルモンが分泌され始め、乳腺の発達を促進。排卵後約60日前後でお乳が出始める。なお、出産は妊娠後約62、63日後である。

偽妊娠のメカニズム
 実は、発情休止期になると、たとえ妊娠していなくとも、メス犬の体ではプロジェステロンが活発に分泌され、その分泌が低下したころに、乳腺の発達を促すプロラクチンの分泌が活発になっていき、乳腺が張り、お乳が出始めることも少なくない。
 個体差は大きいが、中には自分の好きなぬいぐるみを抱き寄せ、飼い主が無理に取ろうとすると、うなって抵抗する犬もいる。また、ソファの裏や押し入れなどにタオルなどを引き込み、“巣づくり”を始める犬もいる。 
 人の場合、排卵後に妊娠しなければ「生理(月経)」が起こり、妊娠準備のために形成された子宮内膜と血液が排せつされ、ホルモンバランスも平常に戻る。しかし犬の場合、生理は「排卵前」のもので、発情期に妊娠しなかったとしても、人の生理(月経)のような、明確な「切り替え」はない。妊娠時同様にエストロジェン(卵胞ホルモン)やプロジェステロン(黄体ホルモン)、さらにプロラクチン(乳腺刺激ホルモン)が分泌されていくのである。その時、それらホルモンの分泌量がそれほど低下しないと、妊娠時同様の体の変化、行動の変化が起こる可能性がある。それが偽妊娠である。


【治療と予防】
性ホルモンの働きを抑える薬剤の投与か、避妊手術
 
 偽妊娠は、妊娠していない、妊娠可能などのメス犬にも起こり得る。ただし、その体や行動の変化は個体差が大きく、何らかの治療が必要な場合もある。実際、乳腺の張りやお乳の分泌など、飼い主が気づくほどの現象が起こらない犬もいる。
 一方、乳腺が固く腫れ、破れたり、お乳の分泌が多いケースもある。その犬が自分で乳首をなめて、乳腺の張り、お乳の分泌が促進されることもある。そんな場合、男性ホルモン剤を投与して、プロジェステロン(黄体ホルモン)の働きを抑えたり、ドーパミン作動薬を投与して、乳腺の発達を促すプロラクチンの分泌を抑える方法もある。
 しかし、偽妊娠は、メス犬が妊娠可能である限り、何度も繰り返す。そのたびに男性ホルモンを投与するのは副作用が大きい。また、ドーパミン作動薬を投与すれば、吐き気などの症状が出やすく、吐き気を抑える薬剤も必要になる。
 もし乳腺の張り、お乳の分泌が甚だしいのなら、それを防ぐために避妊手術をする方法もある。かかりつけの動物病院でよく相談してほしい。

*この記事は、2006年4月20日発行のものです。

監修/寝屋川グリーン動物病院 院長 長村 徹
この病気に関しては、こちらもご覧ください
この病気と似たような症状を起こす病気はこちら


犬猫病気百科トップへ戻る
Copyright © 1997-2009 ETRE Inc. All Rights Reserved.
このサイトに掲載の記事・イラスト・写真など、すべてのコンテンツの複写・転載を禁じます。