狂犬病
国際化時代で危険性の高まる人畜伝染病
春になれば、桜に酔い、酒に酔う。花見の席で、多少、花や酒に狂ったところで愛敬だが、万一、愛犬が、狂犬病にかかったとしたら、取り返しがつかない。
国内的には何十年も犬の発症例はないが、一歩、海を渡れば、感染の危険性のある地域が無数にある。
犬よりも人に脅威。それが狂犬病だ。
監修/社団法人大阪市獣医師会 会長 釼崎 直佑

世界のほとんどの国や地域が感染地帯
イラスト
illustration:奈路道程
 眼をつり上げ、牙をむき、見るからに狂暴な風体で檻(おり)の中をうろつき、棒でも金網でも、目の前にあるものなら何にでもかみついていく。
 これはWHO(世界保健機関)が狂犬病予防キャンペーンのために制作し、世界各地で上映しているフィルムに登場する、狂犬病にかかった犬の悲しい姿である。その犬はやがて体がマヒし、ヨダレを大量に流しながらうずくまり、ついには死亡する。同じフィルムには、狂犬病にかかった、どこか外国の10歳前後の少年がベッドにしばりつけられ、もがき苦しむ姿も映っている。無残な話だが、その子が助かる見込みはない。
 20世紀末の現在、狂犬病の発生していない地域は、日本やイギリス、オーストラリアなど、ごくわずか。中国、インド、東南アジアをはじめとするアジア地域、アフリカ、南北アメリカやヨーロッパなど、地球上のほとんどの国々では、毎年、家畜や野性動物、さらには人間に感染する症例がいくつもある。
 狂犬病ウイルスの主な感染事例は野性動物で、アメリカでは、スカンクやコウモリ、アライグマなどに多いが、もちろん、それから広がって、牛、犬、ネコ、人にまで及んでいる。ヨーロッパでは感染したキツネやオオカミから伝染するケースが多い。アフリカやアジア、ことに東南アジアやインド亜大陸周辺では犬の症例がきわだっている。
 人を含め、哺乳動物すべてがかかる死の伝染病が狂犬病なのである。

日本における狂犬病
   日本の場合、すでに明治時代からこの病気の報告がある。それ以前から日本列島に存在した可能性もなくはない。戦前は日本全国にみられ、内務省警察部衛生課の指導により、毎年、春と秋の2回、予防注射を行っていた。戦時中は犬自体が少なくなり、病気も減ったが、戦後、犬を飼う人が多くなるにしたがって、全国的に狂犬病にかかる犬が次々に発生。昭和25年には、議員立法で「狂犬病予防法」が成立。飼い犬に予防接種をすることが飼い主の義務とされた。
 関東地域で猛威をふるっていたその頃、横浜で狂犬病にかかった飼い犬に家族6,7人がすべてかまれ、一家全滅した事例もあるという。その後、予防接種が全国に徹底され、昭和30年代半ば以降、日本列島で狂犬病の発症例は確認されていない。
 日本のような島国は、国内の予防接種を徹底させ、感染源を隔離、排除していけば、伝染病を駆除しやすい。しかし、国内で長年発症例がないといっても、油断は禁物だ。最近、輸入動物が急増し、また、年間千数百万人もが海外旅行する時代だから、どこでどんな具合に感染するかもわからない。実は、狂犬病は現代の私たちにとって意外に身近な病気である。
 とにかく、国や地域の予防接種率がつねに70%以上ないと、万一、狂犬病が発生しても防止効果がとぼしく、各地に広がる可能性が高い。毎年、飼い犬の予防接種を徹底させ、そして狂犬病がどんな病気かを十分理解しておく必要がある。

犬を守ることが人間を守ること
   狂犬病の動物に犬がかまれると、唾液(だえき)に含まれるウイルスが傷口から体内に侵入し、脳や脊髄、眼球、神経などをむしばんでいく。そして1,2週間の潜伏期ののち、それこそ狂ったように、人でも犬でも物でも何にでもかみつく狂躁期に入る。そうなれば、誰でも狂犬病とわかるが、厄介なのは、それ以前の潜伏期にも唾液にウイルスが混じっており、かみつかれれば感染することだ。だから、感染地帯では、犬にかまれれば、まずこの病気を疑わなければいけない。疑いが晴れるのは、かんだ犬を隔離して10日たっても発症しないことが実証されたとき。それまで、人間にも予防ワクチンを毎日打ち続けて体内に免疫ができるのを待つだけだ。毒ヘビのような血清はない。
 さて、狂躁期は2週間前後続く。それが過ぎると、麻痺(まひ)期に入る。神経系統がマヒして体は動かず、食物も飲み物も、そして唾液すら飲み込むことができずに弱り果て、死に至る。ほんとうに悲惨な病いである。なお、狂犬病の別名は、「恐水病」という。それは、この病いにかかった人間が水を飲もうとしてもどうしても飲めず、震えがきて、まわりから見ると、あたかも水を恐がるようであったことによる。
 哺乳類すべてが感染するこの病気を「狂犬病」というのは、犬が最も人間社会に身近な動物で、人々への影響力が大きいためだ。猟犬なら、野性動物と接触する機会も多く、感染もしやすい。飼い犬が感染すれば、言うまでもなく、最大の被害者は飼い主家族である。飼い主ならだれでも、わが家の愛犬が自分たちをかむなんて夢想だにしない。
 愛犬のため、家族、隣人のため、さらには世の中の人と動物すべてのために、毎年一度は必ず予防接種をする。それが飼い主すべての義務である。

*この記事は、1996年3月15日発行のものです。

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