乳がん
乳がんは人間の社会でも、きわめて発症率の高いがんのひとつだが、犬にとっては、人間以上の危険性をもつ病気である。 *乳腺腫瘍のなかで良性のものを乳腺腫、悪性のものを乳がんという。
監修/いずみ動物病院 院長 泉 憲明

犬に多い乳腺腫瘍の約5割は悪性(乳がん)

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illustration:奈路道程
 動物の細胞は、それぞれの所属部位ごとに一定のサイクルで新しい細胞に生まれ変わっていく。ほとんどは正常な細胞が代替わりするが、なかには、何らかの要因で正常細胞とは違った「異型細胞」ができる。その大半は体の免疫機能によって取り除かれる。しかし免疫の攻撃に負けず、着実に増殖を重ねていく「悪漢」がいる。それが「がん細胞」だ。そのようながん細胞が生まれやすいのは、細胞の増殖が盛んな、つまり動物の生命維持や「種」の保存に重要な働きをする、皮膚や内臓、生殖器官などである。
 たとえば、性ホルモンが乳腺の細胞に影響を与えて「異型細胞」をつくりだし、それが増殖したのが乳腺腫瘍で、そのなかの悪性のものが「乳がん」となる。人間の場合は、乳腺は1対しかないが、犬は5対、つまり左右に5つずつある。単純に考えても、犬が乳がんになる確率は、人間の5倍あって不思議はない。とにかく、悪性か良性かは別にして、犬はネコよりずっと乳腺腫瘍になりやすい。そして、その約5割が悪性、つまり「乳がん」なのである。

外科手術で確実に乳腺組織を取り除く
しこり部分が乳がん。
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 乳腺腫瘍は性ホルモンの影響によって生まれると述べたように、最初の発情前に避妊手術を受けた犬やネコが乳がんにかかることはなく、発情を重ねるごとに発症率が高くなる。そのため、避妊していない雌犬の場合、中高年、とくに7,8歳前後から乳腺腫瘍になるケースが多い。愛犬のお腹をなでて、「しこり」を感じたら、すぐに動物病院でくわしい検査(触診だけでなく、細胞の病理検査が望ましい)を受けるべきである。なんといっても犬やネコには乳腺の数が多く、とくに下腹から股にかけて乳腺が発達している。だから気づいたときには、あちこちに大小さまざまな乳腺腫瘍ができている可能性が高い。
 そのため、病理検査で、1つの腫瘍が良性であっても、ほかのものが悪性のことも少なくない。さらに、1つの乳腺腫瘍でも、良性・悪性の腫瘍細胞が入り組んでいて、検査のために切除した細胞がたまたま良性の部分であれば、「がん」を見落とすことになる(「しこり」が小さく、指でさわると前後に動くようなものは良性の可能性が高く、まわりに固着したものは悪性の可能性が高いといわれる)。
 乳腺腫瘍を発見すれば、なるべく早く外科手術をすることが大切だ。とかく人間は、波風を立てない生活を望む。だから飼い主も、「しこり」が小さいから、愛犬が元気だから、体にメスを入れるのが可哀想だから、あるいはもう老犬なので手術しても…、といういろんな理由に寄りかかって、当面の「手術」を避けようとする。しかし「悪性腫瘍(がん)」なら、ある程度の大きさ(3cm)になれば、体のほかの部位に転移する危険がきわめて大きい(まず肺や局所リンパ節に転移するという)。また、ひどいときは、数cmのがんがわずか数ヵ月で何倍にも大きくなり、潰瘍(かいよう)ができてジクジクし、悪臭をはなってくることもある。「しこり」がせめて3cm以下、できるなら5mm程度の段階で外科手術して乳腺を取り除いておれば、再発や転移の恐れはほとんどない。

高齢犬でも手術をすれば大丈夫
   もっとも「手術」といっても、どの範囲まで切除するかは、獣医師の判断、考え方で変わってくる。たとえば5対ある乳腺のうち、腫瘍の明らかなものだけを切り取るのから、腫瘍のできたお腹の片側全部、あるいは少し期間を置いて左・右を片側ずつ取っていく方法、さらに一度に左・右の乳腺を全部切り取るまで。どれがいいかは主治医とじっくりと話し合うべきだが、先にふれたように、犬は乳腺が多く、またその組織が複雑に発達しているため、現在正常な乳腺に今後発症する可能性が高く、手術範囲を限定すれば、再発の危険性がきわめて大きくなるのである。
 もっとも、一度に全部手術すると、皮膚の縫い合わせの問題で苦労する。片側ずつ、少し時期をずらして切除するのが、安全・確実な方法といえるかもしれない。
 なお、現在、犬の寿命は延びて、15歳以上生きる愛犬も少なくない。だから、決して「うちのワンちゃん、もう10歳を越えたから、いまさら手術なんて」という考えに陥らないことが大切だ。いまは麻酔技術も発達し、高齢の犬でも安全に手術できる。実際、10歳以上の犬の手術例も増加している。それに乳腺腫瘍を切除する手術は、範囲こそ広いが、内臓手術とは違い、犬への負担は私たちが考える以上に少ない。避妊手術と同様に、手術後10日ほどで抜糸すれば、あとはほとんど問題はない。また、たとえ犬が中年であっても、乳腺腫瘍手術のときに、ついでに避妊手術をしておくのも、卵巣や子宮の病気を未然に防ぐのに役に立つ。性ホルモン機能の異常などが原因で、老齢の雌犬が「子宮内膜症」などにかかり、苦労するケースが多い。
 繰り返すが、乳がん、乳腺腫瘍炎のいちばんの予防策は、初発情前(7,8ヵ月前後)の避妊手術である。もし、将来、愛犬に出産させるつもりがないのなら、早めに避妊手術を受けさせるべきかもしれない。

*この記事は、1998年11月15日発行のものです。

●いずみ動物病院
 愛知県日進市蟹甲町家布1-3
 Tel (05617)4-1179
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