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人間も、犬のように素直に生きることができれば・・・
生来の犬好きで著書に「犬がいるからだいじょうぶ」をもつ
小説家・島村洋子さんにインタビューしました。

島村洋子さん
1964年、大阪生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。
小さいとき、自宅で犬が飼えず、近所の犬たちと兄弟・姉妹のように遊び、将来の夢は、「自分の犬と暮らすこと」と「小説家になること」だった。証券会社勤務を経て、85年、コバルト・ノベル大賞を受賞。著書に『てなもんやシェイクスピア』(東京書籍)『こんなにもひとりぽっち』『王子様いただきっ!』『壊れゆくひと』(ともに角川文庫)など。エッセイに『犬がいるからだいじょうぶ』(大和出版)『源氏物語』(双葉社)など。

プリ子とホンコン

凡平

ピノコ



ずっと、私、だれでも人間は、犬が好きだと思っていました

 子どものとき、母が自宅で商売をしていたので犬が飼えなくて、幼稚園に行く前から、近所の犬とどろんこになって遊んでいました。そのころ、自分と犬の区別ができなくて、犬用の土間で一緒に毛布にくるまって寝ていたり、顔をなめられると、同じだけ、なめてあげたり。小学校に行ってからも、学校帰りに、あちこちの家で飼われている犬たちに給食のパンをあげたりして、勝手に仲良くしていました。
犬って、素直でいいですね。うれしいときはしっぽを振る。かなしいときは泣く。怖いと耳をたれる…。人間もそうできると楽だな、と思います。
 ずっと、私、だれでも人間は皆、犬が好きだと思っていました。それが、どうも、ちがうということがわかってきて、今日にいたっているわけですが、いまでも、犬嫌いの人の気持ち、何がどうなっているのか、よくわかりません。
 この犬たち、親子なんです。こっちが親のプリ子で、となりが娘のホンコン。ホンコンはめずらしく一人っ子で、一頭だけで生まれました。生まれてからずっと一緒で、とても仲がいいんです。プリ子がお産すると、間にいる子犬がつぶされそうなくらい、くっついて寝ていたり、ホンコンが子犬にお乳をやったりして、それでほんとにお乳が出るんです。


不幸にとどまっていれば、それはただの「不幸」にすぎないんじゃないか、と

 創作についてですか。子どものときから物語を書くことが大好きで、ずっと、だれでも、物語が書けると思っていました。作家のなかに、「書くのが苦手でした」、という人もよくいますが、どうして書くことが嫌いな人が作家になるのか、私には、謎、ですね(笑)。
 ところで、このごろ、だんだん、小説がよくない方向に行っているでしょ。たとえば、昔、殺人事件でも、死体があればよかったのに、いま、目玉をくりぬいたり、解体しないと「事件」じゃなくなってきたり。また、松本清張なんか、一人殺された事件を解決していたのに、いま、二十人ぐらいの殺人事件をあつかったり…。昔は、江戸川乱歩などごく一部の人が書いていただけなのに、そんな小説がメインになってくると、やはり、ちょっとちがうんじゃないか、と。
 読んだあと、人が「うわー、すごく嫌な気持ちになりました」というような仕事をして、楽しいのか、ということでしょ。
 私が子どものときから書きたかった小説は、源氏鶏太とか山口瞳など、サラリーマンが勤め帰りの電車のなかで読んでいて、(つらいこともあるけど、人生はそれほど悪いものじゃないな)と思ってもらえるようなものでした。それが、家に帰るときにまで、猟奇殺人のことを考えないといけないような小説がメインになるなんて、ね(笑)。
 いま、だれでも自分のことをすごく悲劇的に言うじゃないですか。でも、ほんとうにつらいことって、他人に言えないでしょ。それに、他人事なら、「可哀想に」といえるけれど、自分がひどい不幸に見舞われても、やはり「日常」があり、ゴミを出し、掃除もして、生きていかなければいけないから、つらくても、人は不幸をくぐり抜けていくでしょ。
悲しい人ほど、明るく生きるはず。もっと、バイタリティがあると思うんです、人間って。
 そういう生き方を書いたのが、崩壊家庭の女子高生が、ひとり、ローン滞納で手放した空き家にたてこもって、元気に、前向きに生きていく「ビューティフル」だし、シェイクスピア劇を大阪弁の世界に再現した「てなもんやシェイクスピア」です。これからも、「不幸があっても、気を取りなおして、明日、またがんばろう」という感じの小説を書きつづけたいと思っています。

*この記事は、2000年9月15日発行のものです。



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