![]() |
||
|
「ただの飼い主」の視点で、年間六十五万といわれる「殺処分」問題に迫り、 『捨て犬を救う街』や『小さな命を救う人々』を書いた ノンフィクション作家の渡辺眞子さんにインタビューしました。 |
|
![]() |
あそこは、自分が人間でいるのが 嫌になるような、つらい、つらい場所ですね 私、気がついたときから犬がいて、という「ただの飼い主」ですが、1999年に、ある出版社で犬のことを書けるライターを探していると声をかけていただいて、軽い気持ちでWAVE出版に行きました。すると、社長の玉越直人さんが、児玉小枝さんの撮影した「殺処分」直前の犬たちの写真を私に見せて、「殺処分の本を出したい。ぼくは、動物を救うことは人間を救うことだと思う」とおっしゃいました。その少し前に十五歳の愛犬「きなこ」を亡くしたばかりで、精神的に落ち込んでいて、私にはできないと思っていたのですが、玉越さんの言葉に後押しされて、どうにか取材活動を始めました。 最初に行ったのが、「動物を一頭も殺さないシェルター」という、サンフランシスコのSPCA(対動物虐待防止協会)でした。そこに保護されている犬猫は健康管理が行きとどき、みんな素敵な個室暮らしで、ボランティアがいつも散歩や遊び相手をつとめている。私も大型犬の散歩をさせてもらい、楽しかったんです。でも、その子を個室に戻してドアを閉めたとき、この子たちも、もらい手がなく、ある日、新しく保護された動物が来たら、このシェルターを押し出されて殺される、という現実に気づいたとき、とても重苦しい気持ちになりました。SPCAに隣接したACC(市と郡の動物管理課)では収容しきれなくなった動物を安楽死処分しているのです。 日本に帰国後、東京周辺の動物保護管理施設をまわり、「殺処分」を待つ犬たちにすがるような目で見つめられていると…。あそこは、自分が人間でいるのが嫌になるような、つらい、つらい場所ですね。 動物保護管理施設に犬や猫を捨てる飼い主は、「そこに連れてゆけば、新しい飼い主が見つかるかも」とか、「安楽死される」と思っているのかもしれないけど、そんなの、自分に都合のいい解釈で、あそこではほとんどの動物が「ガス室」でもがき、苦しみながら殺されるだけ。それまでの何日間か、あの子たちは暗く冷たいコンクリートの部屋につめこまれて、拷問のような時間をすごしながら、それでも、だれか迎えにきてくれると思って待っている…。 犬猫を捨てる、ということは、殺すことなんです。直接的には行政が手を下しているけれど、実は、飼っていた人が殺してる。年間六十五万頭という、捨てられる犬や猫の数だけ捨てる人間がいるのだと思うと、空恐ろしいような想いですね。 たとえ一頭、二頭でも犬や猫たちを 救う事実が積み重なっていけば 現実というのは、絶望的で、苦しくて、可哀想で、ほんとにそれを知ったとき、落ち込んで、私、何日か寝込みました。それでも、まだ希望があると思えるとしたら、救おうとしている人たちの存在なので、『捨て犬を救う街』を書いたあと、そのような人たちにスポットを当てたいな、と思いました。 ちょうどそんなとき、出版後、立ち上げたインターネットのホームページにいつも書いてくださっていた滋賀県の田中裕子さんがいました。彼女は、私と同じ「ただの飼い主」で何の活動もしていませんでした。しばらく便りがなかったあと、田中さんは「地元の動物保護管理施設でボランティアをする」というメッセージを送ってくれました。「すべての子たちは救えないけれど、せめて、一頭ずつ抱きしめてあげたい。今度生まれてくるときは、天寿をまっとうできるような社会にしているからね」って。 それを読んだとき、私、泣いて、感動して。それでWAVE出版の玉越さんに「こういう人がいます。会いたい」といったら、「行ってください」と、わずか五分で次の出版企画が通りました。田中さんて、ほんとにすごい人です。音をたてて成長しているという感じで、自分でいろいろ研究して、動物保護管理施設に提案したりしておられる。そういう人たちがあちこちでポンポンポンと生まれ、地べたをはいずり回るように活動しているボランティアたちの力で、たとえ一頭、二頭でも犬や猫たちを救うという事実が積み重なっていけば、と思います。 *この記事は、2001年1月15日発行のものです。 |
| Top of page ▲ |
| << [前の記事] | [HOMEへもどる] | [次の記事] >> |