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はじめてチャンピィと街を歩いたとき、「生きてるぞ」という実感が・・・ 日本の盲導犬第一号となった愛犬チャンピィ以来、ローザ、セリッサ、 そして現在のロイドと四代の盲導犬たちと暮らしてきた河相 洌さんにお会いしました。 |
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人と犬との交わりの楽しさを味わうことは、 盲導犬であってもゆるされる、と この子が四代目のロイドです。四年前、三代目のセリッサが亡くなったとき、私も歳をかさね、くたびれてきましたので、もう新しい盲導犬との生活は限界かな、と思っていました。しかし時間とともに体力も回復してきて、やはり、セリッサの跡継ぎがいないと、さびしいという思いが強くなりました。それで家内と相談して、先のことは先のこと、思い切って新しい盲導犬と暮らしてみようか、と、アイメイト協会にお願いしました。ちょうど2年前の六月十八日、アイメイト協会から、訓練が終わったから、歩行訓練に来てください、と連絡がはいり、三週間の歩行訓練を受けに東京へ行きました。 最初、ロイドを紹介され、そばに寄ってさわったら、ずいぶん大きいので、これはどうなることかと思ったのですが、性格はおだやかで意外にゆっくりと歩いてくれ、歳のいった私には非常によくて。 浜松に帰ってきて、一緒に暮らしてみますと、ラブラドールって、愛らしくて、人によくなつきますね。判断力もよくて、ついこのあいだも、私たちの前をクルマが急に横切ってきたとき、ロイドはさっと止まって、二、三歩さがり、事なきをえました。しかし安全な道をゆっくり散歩しているときは、陽気なラブラドールのくせがでて、臭いをかいだり、マーキングをしたり(笑)。 やはり、盲導犬との生活の喜びは、一緒に歩くということです。私がこの子に誘導されて、生かされているという実感を、一緒に歩いているときに感じます。とにかく、ハーネスを通してお互いがしっかり結びつきあっていて、この子が、いま、どういう気持ちなのか、よくわかりますね。しかしこうやって、家のなかで自由な交わりをするのも楽しい。盲導犬には、家庭犬としての側面もあります。ハーネスを付けたときは盲導犬、はずしたときはただの家庭犬になる。それをいかに両立させていくかがむずかしいんですが、彼らも同じ生き物で、ロボットじゃありません。人と犬との交わりの楽しさを味わうことは、盲導犬であってもゆるされると思います。 見えなくなって、自分独自の人生を つくる機会をあたえられた 私は幼稚園のとき、父が外交官だったので、中国東北省の旅順にいましたが、ある日、父が人力車で帰ってきて、玄関にお迎えにいったら、足元にグレートデンの子犬ベスが眠っていました。それが犬との最初の出会いです。 失明したのは、私が大学生のころ。徐々に光を失っていったのですが、不安と恐怖が入り交じった思いでした。もし、目が見えていたら、とも思いますが、目が見えなくなることで、私は別の世界をつくりだしていったんですね。「盲人として生きなさい」という声がかかって、自分はその通りにして、今日があるんだな、と。見えなくなったのはたいへん不便ですけど、それにはそれなりの意味があって、自分独自の人生をつくりだしていく機会をあたえられました。 当時、昭和二十年代の日本は、盲導犬なんていなかったんですから、何もわからない。小さいころに読んだ盲導犬の記事を手がかりに、さがしたのですが無理。もうあきらめていたときに、アメリカ人の方との出会いがあって、うちのシェパードの子犬を盲導犬に、と申し出がありました。その後、四方八方さがしても、盲導犬の訓練をしてくれる人はいなかった。それがたまたま、日本シェパード犬協会の会長・相馬安雄さんに相談に行って、この人なら、と紹介されたのが、塩屋賢一さんだったのです。人との出会いって、不思議なものです。それがうまく回転していって、日本に盲導犬第一号が生まれました。 とにかく、はじめてチャンピイと街を歩いたとき、「生きてるぞ」という実感がわきました。それまで、盲人は人に頼るか、杖にすがるしかなかった。それが、盲導犬のおかげで、より自由に、より広い範囲を行動できる喜びって、ほんとうに大きかったですね。 *この記事は、2001年7月15日発行のものです。 |
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