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猫って、わたしにとって空気みたいな存在ですね。 生きるのに、ぜったい必要。朝も起こしてくれるし(笑)。 |
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公園で拾ったキキが弱くて、 どうにかしてあげなきゃ、と 仕事をやめました 小学校高学年ぐらいのとき、猫が門から入ってきて、玄関で座ってるわたしの膝の上に乗ったんです。その子はよその猫だとわかっていたので、飼っちゃいけないと思ってたんですけど、毎日来て、そのうち帰らなくなって、結局、うちで飼いました(笑)。 わたし、山口県出身ですが、学生時代、東京に出てきてからは寮生活だったり、社会人になってもひとり暮らしのアパートだったりで、そう簡単に飼えず、ずっとがまんしていました。それが13年前、アトムをもらって、猫との生活が始まりました。 そして七年前、近くの公園に捨てられていた子猫のキキを拾ったんです。最初、大学生たちが2カ月ほど育てたんですが、片方の手のひらに乗るぐらいに小さくて、目やにと鼻水で顔がぐしょぐしょ。病院に連れていっても、完全に治らなくて、いまでもちょっと調子が悪いと、目やにと鼻水がひどくなります。 アトムはひとり暮らしが長くて甘えん坊だったので、キキを連れてきたときは、フー、フーいって…。わたし、もっと仲良くさせなきゃ、お互い可哀想だろうな、と思っていたんですが、病院の先生いわく「猫だからね」って(笑)。その言葉にすごく救われました。いまは、もう大丈夫で、一緒に尻尾を立てて追いかけっこしています。 とにかく猫って、わたしにとって空気みたいな存在ですね。生きるのに、ぜったい必要。そばにいてほしいときは来てくれるし、朝もちゃんと起こしてくれる(笑)。目覚ましが鳴らないと起こさないんですが…。 「花ねこ」を創り始めたきっかけですか。実はキキと出逢うまで、わたし、アパレルメーカーでパターンナーとして仕事していたんです。でも、キキが死にそうなほど弱くて、どうにかしてあげないといけない、と大きな声で言えないんですが、仕事をやめました。それで半年ほど遊んでいて、1995年の9月ぐらいに、何かしようかな、と紙粘土で猫の人形を創り始めたんです。 もともと洋服も“立体”じゃないですか。“立体”を創るのは洋服も人形も同じ。でも紙粘土だと、尻尾をつくってもすぐにボキボキ折れてしまう。どうにかしなきゃ、と粘土を研究するため、画材屋さんに通う日々が始まりました。それから、もっと上手になりたいって“欲”が出てきたんです。 猫の柄が描けなくて悩んでたら、 花柄の猫が夢に出てきた。 それで「花ねこ」にしよう(笑) はじめはすごくヘタで、形はガタガタ、色も黄色やピンクのべた塗りだけ。でも、その年の12月1日、キキと出逢った公園へもっていって1個500円で売ってみたら、みるみる売れてしまったんです。あ、売れるんだ、と思って、一生懸命創ったら、すぐに完売して製造が追いつかなくて、毎日、行けないくらいになりました。いちばんはじめに買ってくれたお客さまは、小学生の女の子。そのときの500円玉、いまでも大切にもってます。 猫の人形を「花ねこ」と名づけたわけですか。最初、わたし、柄も描けないし、顔も描けないし、どうしようと悩んでいて、ある公園に行ったとき、枯れ草の上にいろんな色の猫がポン、ポンと座っていて、花のように見えたんです。その前後、ちょうど猫の柄が描けなくて、悩みながら寝たとき、花柄の猫が夢に出てきたことがありました。真っ白い猫の背中心に、ポツ、ポツ、ポツと黄色い花柄があって、それで「花ねこ」にしよう、と決めました(笑)。 そんなわけで近くの公園で「花ねこ」を売り始めたのですが、あるとき、おまわりさんが来て、ここで売っちゃだめだよ、と注意されて。逮捕されるの、嫌だから(笑)行かなくなったんです。そのころ、吉祥寺の伊勢丹デパートで「手造り展」があるというので応募して、出展OKをいただきました。それが97年8月で、そのあと、あちこちのお店やギャラリーなどに出展させていただくようになりました。 わたし、やっといま、猫作品に目の肥えたお客さまにも許していただける作品が創れるようになったのかな、と思います。ちょっと前の作品を見てみると、ヘタですからね(笑)。まだまだですが、人間って、こうやって目に見える物を残しておけば、成長しているのがわかるんですね。わたしでも、ちゃんとうまくなってるじゃん、と(笑)。とにかく、自分が楽しんで創っていると、作品もいい顔になります。 *この記事は、2002年11月20日発行のものです。 |
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