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僕の実家は、この庭の向こうに建っている家で、子どものころ、ここには、昔話に出てくるみたいなおばあさんが子猫と住んでいたんです。うちには「熊太郎」という気性の優しい犬がいましたが、猫はいなかった。僕は生まれつき猫が好きで、まだ三歳のころ、どうしても猫が欲しくて、親におにぎりを作ってもらい、お隣の子猫をおびきよせて、拉致しました(笑)。それで親に頼んでもらって、うちで飼うようになったのが最初の猫です。
うちのおじいさんは、猫なんか役に立たないからと反対で、「猫を飼うなら台所でネズミの番をしろ、名前は鍋か釜でいいや」と(笑)。でもそれじゃかわいそうだし、メスだったから「釜子」になりました。釜子は長生きして、“できた”猫になり、僕、五人兄弟の末っ子だったんですが、兄弟げんかをしてたりすると、「うるさい!」と言うように、寄ってきてガブッとかむ。それで我々はびっくりしてけんかをやめちゃう。そんな猫だったですね。
絵は三、四歳ぐらいからずっと描いてました。東京にいた母方のおばあちゃんが来ると、必ず目の前に座らせて肖像画を描くのが年中行事。あとは鉄腕アトムやペンギンの絵、時計屋さんに行った時の絵などが残っていて、なかなかいいですよ。確かに僕は絵がすごく好きでしたが、自分よりうまい子は、周りにもいました。でも、そういう子は勉強も運動も得意だったりして、絵を描き続けられなかった。結局、好きなことを“続ける”才能があるかないか、が一番大事なことじゃないかな。僕は高校で美術部に入り、東京の美術系大学を受験して失敗。予備校に通ったけど、最高に幸せでしたね。英語や数学や世界史などの授業がなくて、午前も午後も全部絵を描いていられるのが。基本的には、卓球の「愛ちゃん」じゃないけど、“好き”な子じゃないと続かない。それに、好きなことをマゾヒスティックに突きつめる人じゃないと、大成しないかもしれませんね。
「マオ猫」について言えば、正式に世の中に出てきたのは一九八六年ぐらいですが、その前から、人間みたいな格好をしてスイカを食べたり、腕相撲する猫を描いていました。でも、まだヒゲがあったりして、進化の過程だった。そのうちにしっぽがなくなり、直立二足歩行して…という感じで今の「マオ猫」になりました。
潜在的には、自分の精神的な理想像みたいなものを猫の姿を借りて描いたものですね。例えば、自由だとか孤独だとか、社会に縛られてないだとか。今の世の中、働かなければいけなかったり、学校に行かなければいけなかったりするけど、そんな枠組みから外れることの大らかさ、面白さ、自由さ、ですね。だから、最初は、犬と猫がサラリーマンを散歩させながら、井戸端会議をしていたり、サラリーマンのおじさんと猫がお面を交換したり、立場が逆転した作品が多かったんです。これから、また、どんな進化をするか分かりませんけどね。
*この記事は、2004年9月20日発行のものです。
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