黒田監督が手掛けた「A Dog's Life:good side」
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初めて犬を飼ったのは高校時代です。僕は終戦の年が小学校三年で、高校のころは世の中、だいぶ落ち着いていました。でも家は貧乏のどん底で、兄貴も僕も高校入学と同時に親父とお袋に「今までありがとうございました。これから自力で生きます」と言って、家庭教師をして学資をまかなっていたんです。
そのうちの一軒、兄貴が教えていた家の方から、生後三か月ぐらいのシェパードの子犬をもらいました。僕は末っ子なもので、弟ができたみたいにかわいくてね。でも、こちらの不注意でジステンパーにかかり、僕も兄貴も、バイトで稼いだ学資用のお金も奨学金も全部はたいて入院させたのですが、だめでした。その後、スピッツを飼ったこともあるのですが、最初の体験が大きすぎて、今でも生き物を飼うのはためらわれますね。
ところで、僕は早熟で子どものころからフランス文学と演劇が好きでした。でも大学時代は演劇を封印して、毎日、映画ばかり見てました。特に興味があったのはミュージカル。アメリカにはフランク・シナトラみたいに歌って踊れる俳優が何人もいた。でも、当時の日本じゃ無理。そんな時、ディズニーの『ファンタジア』を見て、これなら、役者がいなくてもミュージカルが撮れる、と(笑)。ちょうどアニメスタジオを建てた東映がスタッフを募集していて、応募し、採用されました。
僕の撮った犬のアニメといえば、「フランダースの犬」ですね。テレビの最終話が放映されたあと、近所に住む、小さな女の子のいるお母さんから電話がかかってきて、「ご苦労様でした。うちの娘が、今度はあんな悲しいお話じゃないのを作ってくださいって」(笑)。でも少年ネロと愛犬パトラッシュは大変だったけど、ふたり一緒に生き、一緒に死んだから“幸せ”でした。“不幸”なのはひとり残された少女アロア。だから二十五年後に劇場版を作った時、彼女を慰めたかったんです。
この三月公開される『いぬのえいが』はいろんな監督がいろんなことをやりながら、なおかつ一本筋が通っている、日本では珍しいリレー形式の映画で、一回見たあと、もう一回じっくり見たい、という作品です。僕の担当は、少年と楽しく暮らしていた子犬が、その子に見向きもされなくなり、捕獲されて、つらい運命をたどるアニメ作品。主人公の犬のデザインが様式的なスタイルなので、その味を生かすようなパターンでアニメーションを処理しました。その意味では画面構成を含めて、今はやりのCG的表現などは用いず、最もシンプルなスタイルで、余計な演出はしないで撮りました。
『いぬのえいが』で言いたかったのは…、今の日本人の感覚って、ちょっと異常ですよね。自分の中で何か一つを見据えて、という“核”になるものを持っていない。それで次から次へと目先が変わると、どんどん流されてしまう。だから、人でも物でもペットでも、自分とかかわる存在を、一つひとつ、もっと大事にしてほしい。昔あれだけ飼われていたスピッツも、今じゃあまり姿を見かけない、とか。それって、ほんとに寂しいですね。
*この記事は、2005年3月20日発行のものです。
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