猫の「kabamaru」と7匹の仲間たちの世界を描いたイラストエッセイ集/小学館
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わたしは猫が大好きですが、猫を猫かわいがりする猫おたくではありません。猫たちには敬愛の念を持っています。猫たちは猫独自の哲学を持って生きていると感じてなりません。
いつも散歩する道の路地の奥や、庭先やブロック塀で出会う猫たちは、実に様々な個性がありますが、共通しているのは、猫たちが一番大切にしているのは、自由な暮らしのリズムだということです。
自分の言いたい言葉を自分の表現で直接伝えようとすると抵抗がありますが、それを猫の言葉として伝えようとすると、抵抗なく受け入れてもらえるメッセージとなります。
猫のしぐさや行動を客観的に観察し、猫の感性や生きざまに、自分の伝えたいメッセージを託し、書と画と“猫言葉”で物語をつくっていきたいと始めたのが、kabamaruと仲良しの猫たちの日常です。
自由気ままに、あくせくせず、それでいてやりたいことはきちっとやっている猫たちを擬人化し、繰り広げる日常は、猫と人間を行ったり来たりして、どこまでが猫なのか人間なのか分からなくなることがあります。
kabamaruは、どこの町にもいそうな、ちょっと太り気味の愛嬌のある虎猫がイメージモデルで、のっそり歩く姿がカバに似ているからkabamaruと名づけました。
猫が堂々と生きている町は、そこに生活している人々も実にのんびりと、猫とともに猫時間で生活しているようにも感じます。
時間に追われ、せかせかした日常の自分を振り返ると、のんびりと自由気ままに生きる猫たちから学ぶことがあります。それは、墨をすり、墨のにおいをかぎながら、文字や画を描く作業に通じるところがあります。そのゆったりと流れる時間が猫時間なのです。
もとは、極彩色を使ったポップアートを主流に描いていたのですが、中国・吉林省との文化交流で行ったり招いたりしているうちに、門前の小僧で、いつの間にか書や篆刻、水墨の世界に魅せられ、それにはまってしまいました。水墨という表現方法は、無駄な色彩や必要でないものを削り落とし、瞬間にイメージや形をとらえ、それを描く。それは、面白い発見でした。
今までの色彩を一切排除したらどうなるか、書の入り口から水墨へ。制約の中で無限の可能性が見えてきました。水墨は、描いたり、消したり、消しゴムを使えない、使うことのない、対象やイメージを瞬時に固定する作業なのです。猫がネズミを捕らえる瞬間なのです。書だけでも画だけでも表現しきれないことを、書と画と言葉を組み合わすことで、自分の抱くメッセージを伝えられたらと願ってやみません。
一度外国人になってみて、日本を見つめ直した時に日本の良さが分かります。日本人のアイデンティティーは捨てたものではないと感じます。日本古来の伝統的なものたちには、優れたものがあります。風呂敷や扇子、うちわなどは、小道具としても実によくできています。これら“和の雑貨”が今の時代の感覚に合った、生きた日用品となり、それが各地の地場産業の活性化のお役に立てば、とてもうれしいです。
*この記事は、2007年5月20日発行のものです。
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