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人間の身勝手で置き去りにされて死んだゴロたちに
最後のお別れを言うために、もう一度、南極に行きたい。

北村 泰一さん(地球物理学者)
1931年、京都市生まれ。理学博士。54年、京都大学理学部地球物理学科卒業。57年に始まった日本南極観測隊の第1次及び第3次越冬隊に参加。以後、同志社大学工学部講師、ブリティッシュコロンビア大学客員助教授、九州大学理学部教授を歴任し、オーロラ研究を行う。現在、九州大学名誉教授。著書に『南極第一次越冬隊とカラフト犬』、『カラフト犬物語(絵本)』(ともに教育社)、『南極越冬隊タロジロの真実』(小学館文庫)など。



第1次及び第3次南極観測隊越冬隊の隊員である北村氏が、旅立ちから南極に置き去りにしたカラフト犬と再会するまでをつづった真実の記録/小学館文庫

 僕は大学で、先生から「地球の100キロ上空にある電離層には、仏様の頭に渦巻く螺髪のように、電流が渦巻いている」と言われてオーロラ研究を始めました。でも、学問よりも山岳部で山ばかりに夢中になっていて…。大学を出るころ、自分は何ができるのかと悩んで、「探検とは、知的な情熱の肉体的表現」という言葉に出合い、これだ、と思いました。

 大学院生の時、日本が南極観測隊を派遣するという話があり、何がなんでもと意気込んで京都から上京して志願しました。ところが、隊員の選抜基準は能力主義。みんなは雪上車に乗るために運転免許を取りに行ったけれども、他人の行かない道を、と考えて思いついたのが、犬ソリを引くカラフト犬の犬係でした。

 そこで北海道へ行って犬の訓練を習ったのですが、カラフト犬はクマみたいに大きくて気が荒く、ケンカすると、かみ合って、相手のアゴをかみちぎるまでやめない。ニヴフ出身の訓練士は「彼らを御するのは力。こん棒で思い切り鼻づらを殴れ」と。

 しかし「犬係」と「オーロラ観測」で第1次南極観測隊の越冬隊員に選ばれ、南極で3か月ほど暮らすうちに、犬とのかかわり方に疑問を持ちました。人間と同じで、大切なのは心と心の通い合い。犬も一緒ではないか、と。

 零下30℃の厳冬期、カエル島へ西堀隊長たちと犬ソリ旅行をした時、僕は一番若い犬係なので、いつも「北村、走れ」と言われて、犬ソリの前を走る。人間は「僕の前に道はない」と、未知の世界に挑戦するけれど、犬は「道がなければ、行きません」ので、僕の後を追いかけて走る。だからものすごくおなかが空くのですが食糧は少ないので、「ゴロ」が恨めしそうに見ている中で、犬用ビスケットを1枚ずつもらって食べ、死なずにすみました。

 2か月後、昭和基地から200キロ先のボツンヌーテンへ隊員3名で犬ソリ探検に行き、帰路、最後の難所「円丘氷山」で犬も人も疲れ果て、動けなくなってしまいました。僕はゴロの頭をなで、「ゴロ、ここを越えないと基地に帰れない。やってくれないか」と多少忸怩たるものを感じながら頼むと、ゴロが「やりましょう」と言うように立ち上がり、ソリを引いてくれました。南極で、僕は犬たちと人間同様に、いやそれ以上に付き合った気がします。

 そんな風に、ゴロたちに負い目があり、恩恵を受けながら、最後は、第2次観測隊を乗せた宗谷が昭和基地に近づけず、見捨てる結果になりました。そこで、第3次南極観測隊派遣の時、僕は何としても彼らを弔いたくて志願。1年後に南極に戻ると、「タロ」「ジロ」は生きていたけれど、ゴロは死んでいました。同行のお医者さんに頼んでゴロを解剖してもらうと、胃はシイタケの茎みたいにしぼんで、ビニールが1枚出てきただけ。本当にかわいそうでした。つらい環境なのに、僕の言うことを聞いて助けてくれたゴロたち。それを裏切った、という思いが今でも強いです。彼らに最後のお別れを言うために、もう一度、南極に行きたいですね。

※ニヴフ…樺太北部及びアムール河下流域に住む少数民族。

*この記事は、2007年9月20日発行のものです。



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