わたしが生まれた時、モンパルナスのアパルトマンのわたしのゆりかごの横には、3匹の子猫の眠るバスケットがありました。その間には母猫の「ミネット」が座っていて、子猫とわたしの面倒を見ていたんですって(笑)。
わたしの母は美術の先生で、当時流行の育児マニュアル通りに育てようと、わたしが泣いても、抱きぐせをつけてはいけないから、見に来ない。そこで、ミネットが母のところへ行って、ニャオニャオ…あなたの赤ちゃんが泣いているのよ。なめに来てくださいな…と鳴いたそうです。母猫は子猫が鳴くと、そばに来てなめてあげます。でも、育て方は厳しいですね。子猫がちょっと離れ過ぎると、迎えに行って、パン、パン。右の前足で頭をたたく。それからくわえて、戻る。
教育の話をしますと、80年代から90年代へと理屈ばかりの世の中になりましたが、今は混沌の時代で理屈じゃ役に立たない。人間は、もっと本能で感じることを大事にすべきです。本当の人生を分かるために、動物のやり方を見習ったほうがいいと思います。
猫が見せてくれるのは、優雅な態度ですね。間を置いて、ふっと見る。猫のように、慌てないことが大事です。もちろん、戦争とか大地震とかは大変。でも、日常生活の中の小さな問題で大騒ぎしていたら、大きな問題が起こったらどうするの、と思います。わたし、小さい時、戦争を体験しましたから。
娘と日本に来た時、パリから「クレマン」という猫を連れて来ました。クレマンが10歳の時、がんになって、毎日、病院で点滴してもらいました。わたし、それまで動物が苦しんだら、安楽死させたほうがいいと思っていたんです。でも、実際、決められない。治る希望はないし、痛み止めも効かなくなって、やっぱり決めないといけない。ある日、最後の思い出に、病院から家に戻りました。秋の初めで、近くの木にはまだセミがいっぱい。娘とわたしは、セミの声を聴かせてあげようと、一晩、木のそばにクッションを置いて寝かせた横でお供しました。クレマンは、ゴロゴロと、とても喜んでいました。次の日、「先生、お願いします」と…。
主人の父は、もう亡くなりましたけど、元、京都のお寺のお坊さんでした。ですから、「おぉ、フランソワーズ。わしが、フランソワーズの猫に戒名をつけてあげる」と、弔ってくれました。
そのあと、わたし、クレマンほどのいい猫はいないから、もう猫はいらないと思ったのですが、半年たつと、猫がいなくて寂しい(笑)。それから3か月後に、ヒマラヤンの子猫2匹を飼うことにしました。女の子が「アナイス」で男の子が「アレクシス」。アレクシスはがんで早く亡くなり、アナイスは13歳まで生きて、腎臓の病気で亡くなったあと、もう猫は、辛いから絶対だめ。でも1年たつと、また猫がほしい(笑)。
それでチンチラの子猫、兄と妹の2匹、今の「ルル」と「シャルロット」を飼うようになったんです。2匹だと、お互いが“鏡”になるので、猫は猫のアイデンティティーが分かってすごくいい。あ、僕たちは猫である、と(笑)。
*この記事は、2007年2月20日発行のものです。
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