母親が家出し、家に取り残された幼い弟と女子高生・みずき。ある日みずきは友人の健一とともに死に瀕した子猫を拾う。それをきっかけに日常が少しずつ変わり始め…/アスキー・メディアワークス |
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僕はずっと猫を飼ってみたいと思っていたけど、以前は都内の賃貸暮らしで飼えない。それに最初は食えなくて、結婚後すぐ新婚旅行に行けないほどでした(笑)。
7年ほど前、物書きとしてようやく暮らしが立つようになったころに、野良猫の保護運動をしている人に連絡して、オス(チャロ)とメス(ヒメ)のきょうだいの子猫をもらってきました。ところが2匹とも体重が350グラムぐらいで、本来なら親から離すころじゃない。それに寄生虫が3種類ぐらいいて、特にヒメが弱ってきて、動物病院に連れて行った時には、死ぬ一歩手前ぐらいでした。
それから1週間ほどは、2時間置きに注射器でドロドロの流動食をのどに流し込んでいました。ちょうど文庫本の書き下ろしの締切前後で、居間にパソコンを持ち込んで書きながら仮眠を取り、2時間置きに食べ物をあげて、という毎日でした。すると、1日5グラムとか7グラムずつ体重が増えていって元気になるという、すごくいい体験をしました。それが、僕が初めて“命”を扱った瞬間でしたね。
子猫が捨てられる話をよく聞いていたので、自分の体験も含めて、若い人たちにぜひ読んでほしいと思って書いたのが『猫泥棒と木曜日のキッチン』です。これは、母親が家出した後、幼い弟と家に残された女子高生が、友達と一緒に捨てられ死にかかった子猫を拾ったりしながら、新しい“家族”をつくって生きていく物語なんです。
去年、子どもが生まれて、最近ハイハイを始めたんですが、オス猫のチャロは少し離れたところで待ち、この子がハイハイして追いかけてくると、また少し動いて待ちながら家の中をぐるぐる回っている。それでチャロを「ハイハイ隊長」と呼んでます(笑)。うちは猫も含めて家族で、僕にとって存在感の大きさは同じですね。もし子どもと猫を天秤量りに乗せたら、どちらにも傾かないと思います。
猫は小さな生き物なので、案外簡単に死んでしまうし、簡単にいなくなってしまう。チャロもヒメもあと10年ぐらいは元気で生きてほしいですが、もう来年はいないかもしれない、という気持ちをずっと抱きつつ暮らしています。
もし死んだら、とても悲しいことですが、その時はうちの子どもに「生き物ってこうやって死んでいくんだよ。庭に埋めてあげようね」と、死んでいくところもちゃんと見せてあげようと思います。庭に埋めてあげると、それが草木など次の生命の材料になって、“命”が移り変わっていくことがよく分かる。
人って、本人が同じ場所にどれだけいようと思っても、周りが変わってしまうので、気がつくと違う場所に立っている。それなら、先にどんなことが起ころうと主体的に動いたほうがいい。前に進むことを恐れてはいけないし、変化も恐れてはいけない。
これは僕がこの10年、小説の世界でずっと言い続けていることなんです。
*この記事は、2008年7月20日発行のものです。
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