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| 生きていると、楽しいこともあれば、
ふりかかる人災、天災によって、
言いようのない、つらい境遇に さまようこともある。 心やさしい人たちとの出会いによって、 不幸の渕から立ち直った 犬やネコの話をいくつか報告する。 |
東京のまん中、かつての江戸城外堀に面するJR飯田橋駅から西北にのびる神楽坂をあがる。しばらくして細い路地を右に折れ、赤城神社のわきをくだると、社会福祉施設「救世軍新光館」がある。「純平」の住まいだ。彼は東京で暮らしはじめて丸四年。おだやかな表情のなかに、愛くるしい、子犬時代のおもかげを残している。 育ての親、新光館館長の加藤秀夫さんと純平は、赤城神社の石段をのぼり、裏道をつたってなじみの白銀公園へむかった。公園には近所の子どもたちの歓声がひびく。小さな男の子が寄ってくると、純平は少しとまどい、その手をかいくぐるように離れた。 「このごろ、だいぶなれましたが、以前は、散歩仲間と遊べる大好きな公園に来ても、なかに子どもたちがいれば、入ろうとしなかったんです」 加藤さんが、ぽつりとつぶやく。健康でたくましい純平の何気ない動作のなかに、かつての心の傷跡がほの見えたような気がした。 一九九六年三月はじめのことだ。北関東・栃木県小山市のある公園で、アメリカ人英語教師マイケル・ハンソンさんが、段ボール箱に入れられた生後二カ月ぐらいの子犬を見つけた。どこかの飼い主に捨てられたあと、子どもにいたずらされたのか、無情にも、子犬の両目とオチンチンは接着剤でふさがれていた。大住動物病院の大住敬先生がすぐに治療して、どうにか光を取り戻した子犬は、「くまちゃん」と名づけられ、引き取り手が決まるまで、ハンソンさんの大家にあたる吉田久留美さんが世話することになった。
「新聞記事を読んだ当館の館生から、かわいそうだから、ここで飼えないか、と言われ、それじゃ、と手紙を書きました」 新光館は、ケガや病気で働けず、定住先のない人びとに生活の場を提供するところだ。さまざまな想いを胸にした加藤さんたちは、すぐに廃材で子犬の身にあまる大きな犬小屋をつくり、迎え入れの準備をおこなった。その熱意が 実ったのか、新光館が引き取り先に選ばれ、三月十七日、くまちゃんは東京にやってきた。 加藤さんは、この子犬がいつまでも純粋に、平和に暮らせるようにと願い、純平と命名。奥さんが「くまの純平」と手彫りした表札のある犬小屋に、無事入居した。 職員や入居者が純平の世話をやき、散歩に出ると、事情を知るご近所から、やさしい声がかかる。散歩仲間もでき、すっかり東京暮らしになれた純平はすくすく育っていった。ときには、栃木から吉田さんや大住先生が会いに訪れ、再会を喜びあうこともあった。 再会を果たした吉田さんからの便りにはこう書かれていた。 「くまちゃん、げんきですか。皆さんにかわいがって貰ってください。 又東京に行った時はおみやげをもっていきますから、楽しみに。 くまちゃんのママより おめめがなおってグーの写真入れます。」 |
人災があれば、天災もある。 栃木で純平が生まれる前年の一九九五年一月十七日未明、阪神大震災が発生。合わせて六千人以上の死者と無数の被災者が出た。むろん、人間ばかりか犬やネコたちもたくさん傷つき、倒れ、頼みとする飼い主家族とつらい別れを経験した。 そのなかに、兵庫県西宮市で被災した雄の子ネコ「モモ」がいた。モモはさいわい、多くの犬やネコたちとともに、大阪府能勢町に本拠を置く「アーク(ARK)」こと「アニマル・レフュージュ・カンサイ」に保護された。不幸な動物を保護し、新たな里親さがしに努めるアークの活動は新聞やテレビで報道され、支援の輪がじわじわと広がっていく。 ちょうどアークの活動をテレビで知った、兵庫県猪名川町の西山吉夫さんと佐枝子さん夫妻は、すぐに隣町の能勢町へ車を走らせた。二月下旬のことだ。 「犬は二頭飼っているから、犬を引き取るのは無理。ネコは何年か前に亡くなっていたので、かわいいネコがいれば、と思って」と、吉夫さんは言い、こう付け加えた。 「ケージで、さびしそうにしている子ネコがいました。目のまわりも鼻先もきれいなピンクで、なかなかハンサム。それがモモでした」
「主人はネコかわいがりするんですが、私はよく叱るのに、夜になると、かならず私の布団にもぐりこんできて、腕枕して眠るんです」と、佐枝子さんは、モモの暮らしぶりを語る。
実は、取材の当日、愛想よく迎えてくれたモモが、撮影前、いつの間にか戸を開けて外に出て、内心、大あわてした。おふたりが気づいて、代わる代わる探しまわってくれたが、見つからない。佐枝子さんが、「モモはお客さんが大好きなのに、いつもと様子が違うので、警戒したのかな。でも、そのうち帰ってくるでしょ」と言う。こちらも観念して、今日中に戻ってくれれば、と腹をすえていたら、その後しばらくして、別に「待たして」とも言わず、自分で部屋の引き戸を開けて入ってきた。 |
小雪の舞う早春の一日、静岡県の西の端、浜名湖北岸にあるドッググッズのお店「ラリーズカンパニー」をたずねた。オーナーの宮崎和世さんが奥から現れ、暖かなリビングルームに招いてくれた。ちろちろと燃える暖炉の前に、年老いた、おだやかな表情の白いゴールデンが寝そべっている。 「この子が、ばっちゃんです」 宮崎さんの声にこたえるように、ばっちゃんはそっと立ち上がり、まっすぐに足元にやってきて、頭をこすりつけてきた。よく見ると、右目が青白く、焦点がない。 「こんなに元気になって、尻尾のところなんか、毛がふさふさしてるでしょ。最初、うちに連れてきたとき、体中、皮膚病で、顔も真っ黒、歯ががたがた。たいへんでした」 「ばっちゃん」の身の上話に耳をかたむけよう。
その光景を写した写真が、宮崎さんの元にまわってきた。あの犬たちをどうにかできないか。宮崎さんは、東京の動物愛護団体に相談。そこから連絡を受けてやって来た新聞記者と一緒に、宮崎さんも現地に向かった。 「どこもくさくて、きたなくてね。死んだ犬の横に子犬がいて、生の鶏の頭をしゃぶってる。食べ物が少ないので、どの犬もウンチを食べる。飲み水もない。まるで地獄でした」 そこは、ブリーダーやペットショップで「不要」になった、年老いた繁殖犬や流行がすぎて売れ残った犬が収容され、言いようもないほど劣悪な状態で「飼育」され、なおかつ「繁殖」を強要される、悪夢のような場所だった。 新聞やテレビが取りあげて全国的な関心を呼び、愛護団体が行政組織に働きかけて、ようやく彼ら、九十九頭の犬たちに救いの手がのびた(四頭の母犬は、お腹に赤ちゃんがいて「商売」になるので、所有者の手元に残された)。 動物保護管理センターに保護された犬たちは、多くのボランティアの手でシャンプーされ、爪を切られ、皮膚病はじめ病気やケガの手当を受けた。「どの犬も疥癬(かいせん)やアカラスなどの皮膚病がひどいので、薬浴させるんです。すると、疲れはて、薬浴のあいだ、ずっと居眠りしている子がいました」 それが「ばっちゃん」だった。診断した獣医師の推測では、これまで百匹以上の子犬を産まされたはず。おっぱいが垂れ、陰部は人のこぶしほどにふくれている。片目が失明。ひどい皮膚病のうえ、生の鶏の首を食べていたので、臭気がひどく、いくら洗ってもとれない。とても里親が見つかりそうな気がしなくて、宮崎さんは彼女を自宅に連れ帰り、世話することにした。 なお、テレビ放送のおかげで、その後、譲渡会に出された犬たちは、「もらい手のない犬を引き取りたい」「いちばん症状のひどい子をもらいたい」とつめかけた愛犬家たちに全頭引き取られた。 宮崎さん宅にやってきたばっちゃんは、犬小屋のなかで一週間近く眠り続け、少しずつよくなった。皮膚病も癒えていき、ひどかった臭気もだんだんとうすれていく。案ずることもなく、先住の犬たちやネコとも仲良く暮らしはじめたのである。 「この子、地獄を見てきたじゃないですか。そのぶん、違いますね。自立心があって、自分で自分の楽しみ方を知ってるみたいで」
「知能もすぐれ、人間のことが大好きな犬たちが、あのようなひどい環境のなかで、うつろな目をして、喜びもなく、どういう気持ちで暮らしていたのかな、といまでもときどき思います。 人間になつく動物は、不幸になる順位が高いですね。一年に二回お産させられれば、百匹なんか、あっという間に産みます。それで年をとったり、ブームが去ると、捨てられて…」 ペットブームの陰で、黙々と生き抜いてきたのが「ばっちゃん」であり、そのほかの犬たちだ。宮崎さんは言葉をとぎらせた。 突然、雪雲が去って、強い陽差しが裏庭に広がった。天気の変化を感じたばっちゃんは暖炉の前から起きあがり、好きなオモチャ をくわえてガラス戸までやってきた。宮崎さんが戸を開けると、彼女はゆっくりと地面に降り、陽の差す草むらにねそべった。 そのあとにネコのニャンが続き、ばっちゃんに体をすりつけてから、どこかへ散歩に出かけた。しばらくして、同じゴールデンのラリーとピオもやってきた。三頭の犬たちがじゃれあい、宮崎さんの投げるオモチャを取ろうと走りまわる。 長く、きびしい冬のあと、ばっちゃんにも、遅い春がめぐってきた。 |
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