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| 青い地球の内奥には、 ぼう大な灼熱のマグマがうごめいている。 そのわずかのマグマが地表に噴出しただけで、 私たちの暮らしは大混乱になる。 今春、火山列島の北端、北海道の有珠山噴火に みまわれた動物たちをめぐる話をレポートする。 |
八月初旬、夏の北海道をめざす旅行客にまじって、新千歳空港に降り立った。すぐにレンタカーを借り、道央自動車道を南下。苫小牧、白老、登別、室蘭をすぎ、一時間あまりで伊達インターに近づいた。 どこまでも続く緑あふれる山野のなかに、上部を無機質な暗灰色の噴石や火山灰におおわれた有珠山が眼前に現れ、一瞬、息をのむ。 右手には赤茶けた昭和新山。左手には伊達市街がひろがり、その先に巨大なクジラの尻尾のような渡島半島に抱かれた内浦湾がきらめいている。手元の道路地図によれば、この海は、別名、噴火湾という。なお、今春、二十三年ぶりに噴火し、まだ噴煙をあげているはずの有珠山西麓の噴火口群は、山の反対側のため、ここから望遠できそうもない。 噴火口の直下を走る高速道路は、伊達インターから先二十キロほどが通行止めとなっている。まず最初に、伊達インター近くにある、北海道獣医師会が運営する「有珠山動物救護センター」を訪ねた。 最盛期、二カ所の救護施設に保護された百七十頭ほどの犬やネコたちも、大半は、避難解除が進んで避難所から自宅にもどった飼い主や、仮設住宅に移った飼い主家庭に無事引きとられた。数日前の七月三十日には、身元不明の犬たちの里親探しがあり、道内から三十二家族が抽選に参加して、十六頭が新たな飼い主たちの元に旅立ったばかり。
八月三日現在、センター内の犬・ネコは二十二頭。ボランティアスタッフは、八月末の撤収時期に向けて整理作業に汗を流していた。いかに北海道でも真夏の戸外は焼けるように暑く、寒気・寒風にふるえたという四月の日々を想いうかべることはむずかしかった。 |
有珠山周辺に火山性の地震が頻発し、噴火のおそれが高まって、虻田町北部の洞爺湖温泉町や南部の泉地区・入江地区の住民たちが一時避難を始めたのは、今年三月二十八日だった。 体育館などに雑居する避難所に犬・ネコを同伴するのは気がひける。そのうえ、前回(昭和五十二年)の噴火時は、噴火後すぐに避難先から帰宅できたため、今回もすぐ戻れるだろうと、愛犬・愛猫たちを自宅に置き、着の身着のままで避難した飼い主も少なくなかった。 しかし避難開始後二日たち、自宅に残した動物たちを気遣う声が高まっていく。北海道獣医師会の有志たちは、三月三十日、動物たちの避難所をつくることに決め、各所、各団体に支援を要請。翌三十一日、虻田町に隣接する伊達市で適地を探すべく、活動を開始した。その当日、有珠山西麓、道央自動車道虻田洞爺湖インター近くの西山山麓で噴火。翌四月一日には、温泉町の街並みの背後、金比羅山山腹からも噴火した。何千もの避難住民たちは、一日ごとに避難先を転々としながら、虻田町を脱出。町内ほとんどがゴーストタウンと化した。 室蘭市の内山動物病院院長でセンター長に就いた内山博先生たち獣医師と、ボランティアスタッフたちは、当初、伊達市内の建設会社の資材倉庫を借りて、有珠山動物救護センターを開設。床に段ボールや新聞紙を敷きつめ、持ち寄ったケージをならべて、応急の犬舎・猫舎をつくった。 すぐにあちこちの避難所や、避難地区に残された犬、ネコたちがやってきた。内山先生たちも、町職員とともにヘルメットに防塵マスクをつけ、無人の家々を巡回。動物たちの救助に力をそそいだ。「最初、今後の見通しのたたないことと、センターをどう運営していくかが大きな不安の種でした」と、内山先生は言い、もともと、こういう組織活動に向かなくて、開業獣医師になったんですから、とほほえんだ。 今後の噴火の状況も、避難生活の行方も予測すらつかない。町内に残された犬やネコたちが、何頭いるのか。どのくらいの 人たちがボランティアとして、参加してくれるのか。資金・物資の調達をどうすべきか。救護活動の運営は…。 さいわい、道内はじめ、全国から支援が寄せられ、これまでに道内のボランティア獣医師が延べ約五百人、道内はじめ、遠くは東京、名古屋、大阪、福岡など全国各地から集まったボランティアスタッフが延べ五千人以上。フードや薬品、犬舎、毛布なども次々に届いた。 ボランティアの鈴木美香さんと立脇啓介さんによれば、スタッフたちは、寒気・寒風の春先から、大雨で浸水騒ぎの初夏、熱暑の夏にいたるまで、日中は多くの動物たちの世話にあけくれ、夜はプレハブの宿舎で寝袋や毛布にくるまり、夜更け、ときには明け方までいろんな方言をまじえて話し込み、どこか動物好きの合宿生活のような陽気さで、明るく、楽しく、元気よく救護活動を行ってきた。 |
ボランティア活動の素顔
取材当日、同センターでお会いした方々のお話を少しメモしよう。
帯広畜産大学助教授の石川濶先生は、阪神大震災でも活躍したボランティアの世界を学びたくて、五月末から四週間に一度、数日間滞在している。
センター長を務める内山博先生は、ボランティアの人たちの動物に接する態度を見ていると、自分が忘れていた、獣医師としての原点に戻ることができる、という。「開業して二十五年もたつと、ある程度、動物の生死になれたり、治療するとき、動物が痛い思いをするのは当たり前みたいな気持ちになっていたりします。でも、ボランティアの人たちは、まるで飼い主のように、どの動物たちにも深い愛情をそそいで世話をしている。あ、ボクも、獣医師になったのは、動物が好きだからだった、と。それに、支援していただいた多くの方々のおかげで、こんなすばらしい機会を与えられ、いろいろ勉強できて、幸せでした」 |
噴火後四カ月の現実 |
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