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知っておきたい「ペットの栄養学」



 東京から上越新幹線に乗って約二時間で、田植え時の、地味豊かな越後平野南部の中心、新潟県長岡市に着いた。すぐに車で国道17号線に入り、緑の山々と田園地帯の間を悠々と北流する信濃川東岸を南へ、小千谷方面を目指して走る。
 所々に地肌の露出した山稜や、ブルーシートに覆われた民家などが見えてきた。越の大橋を渡って小千谷市内へ。信濃川西岸の脇道(県道211号線)に入ると、対岸の大規模な山崩れ現場が車窓に迫ってきた。平成十六年十月二十三日、午後五時五十六分に発生した、震度七の「新潟県中越地震」で母子三名の乗った車が崩れた岩石に飲み込まれ、男の子一人が奇跡的に助かった場所だ。その背後の山々の向こうに、全住民がヘリコプターで緊急避難し、現在も仮設暮らしをする山古志村(今年四月、長岡市に合併)がある。
 再び国道17号線に戻り、小千谷大橋を渡って、震源地となった川口町に向かう。ほどなく、信濃川と支流の魚野川の合流点近くにある川口町の中心街に着いた。まるで阪神大震災直後の神戸・阪神間に引き戻されたように、あちこちに廃材の山が並び、更地が広がる。もっとも、家屋再建の工事が各所で始まり、“復興”への足音を感じることができた。
 あの日、あの時、犬や猫たちと暮らしていた人々は、いかに激震に耐え、生き抜いてきたのだろうか。



福原さん夫妻と愛猫モモ。亡くなったボニーの遺影とともに


 JR上越線小千谷駅近くに住む福原良平さんと光子さんは、光子さんの実家の愛犬ボニーと愛猫モモをわが子同様に世話してきた。あの時、光子さんは実家を訪れ、階段を上がり始めたころだった。玄関には、散歩帰りの良平さんとボニーがいた。
 不意の激震に身をすくませ、揺れが収まってから、良平さんはボニーを連れ、光子さんは洗濯物袋にモモを入れて抱き、隣の駐車場に避難した。「うちは、モモもヒモにつないでいたので、外に飛び出さず、よかったです」。
 電気もガスも水道も途絶え、真っ暗な中、激しい余震が続く。車のある人は車の中へ避難。車がなく、どうしようかと途方に暮れていた福原さん一家に、町内の人がテントを貸してくれ、そこで二泊した。その間に、家財の散乱する自宅から、ペットフードと猫トイレを持参。地震発生から三日後の月曜日には近くの小千谷高校の自転車置き場に移動し、テント暮らしを続けた。

 同校体育館が避難所となったが、ペット連れは禁止。そこで自衛隊が設営し始めたテントに行き、「自衛隊さんにお願いしたら、“いいですよ”、と言ってくれました。でも、役所の人が“絶対ダメ”と」
 幸い、各地からやって来たボランティアが“ペット可”のテント村を設営。福原さん一家はそこに移った。「うちが一番早かったです。ほんと、ボランティアさんには感謝しています」
 しかし、夏ごろから、悪性腫瘍で弱っていた高齢の愛犬ボニーは、地震のショックと慣れない避難生活のためか具合が悪くなり、動物病院への入退院を繰り返した。そして、ようやく自宅に戻って一週間あまりがたった、昨年十二月二十一日の朝に容態が急変。再びボニーを入院させた。しかし今度は回復せず、午後三時半ごろに亡くなった。
 「ボニーはいい犬でした。おとなしくてね。今から思うと、犬や猫を飼ってる人はたくさんいたんでしょうが、やむを得ず、自宅に置いて避難した人は心残りだったでしょうね。だから、うちは一緒に連れて出て、非難の目で見られることもありましたけど、それが正解だったな、と思います」


宮さんと愛猫ボー


 被害の大きかった川口町北端の山中、荒谷地区に住む宮敏子さんは大の猫好きで、自宅には四匹の猫がいた。土曜日の夕方、突然、音を立てるように地面が揺れ、宮さん一家は、基礎から傾いだ家を飛び出し、道路の反対側、何本か茂る大樹の根方に避難した。周りの山肌が次々に崩れ、生きた心地がしない。パニックになった四匹の猫たちは、戸外へ、あるいは倒れた家具の間か押入れの隅に逃げ隠れ、保護することもできなかった。
 宮さん一家を始め、地区の人々は公民館前に集まり、その夜はたき火をして野営。翌日、あちこちが土砂に埋まり、半ば崩れた道を車で脱出。信濃川河岸に近い小学校の校庭に避難した。「余震が強くて、車の中に逃げ込んだり、体育館に戻ったり」。そんな避難生活が始まり、敏子さんは、愛猫たちを案じ、検問を通り、自宅へ食べ物を運ぶのが日課となった。

 ある日、壊れかけた自宅に入ると、魚の腐敗臭がする。なんと、生活力のある愛猫「ボー」ちゃんが、外に出たこともない愛猫「ミク」のために、自宅裏で飼っていた錦鯉のうち、地震で死んだ鯉を自宅に引き込んで食べさせ、自活していたのだ。隣家の縁の下で四日間、飲まず食わずでおびえていた愛猫「チー坊」も、やがて自宅に戻ってきた。
 しかし、地震発生時、敏子さんの膝の上にいた臆病な愛猫「ナナ」ちゃんは、裏山に逃げ込んだまま。ようやく一か月後、よたよたしながら自宅に戻ってきた。「わたしが抱っこすると、ニャオ、ニャオと鳴いて…」。ナナちゃんは衰弱が激しく、すぐに動物病院へ。しかし入院二日目、「危篤」の知らせで駆けつけた時はすでに、あの世に旅立っていた。
 

ナナちゃんとそっくりな"ナナちゃん2号"

 その後、敏子さんは自宅で二匹の野良猫に出会った。一匹が、亡くなったナナちゃんとうり二つ。たまらず、敏子さんは「ナナちゃん2号」と名づけ、飼うことにした。「お前、猫でそんなに苦しまなくても」と言うご主人に、野良猫を見捨てられず、何匹も保護し、里親を探してきた彼女は「苦しむのが好きで苦しんでいるんだから(笑)」と答えたとか。
 なお、仮設住宅入居後、敏子さんは“箱入り娘”のミクと新参の二匹を連れてきた(一匹の猫は小千谷在住の人にもらわれた)。生活力のあるボーちゃんとチー坊は、収穫後の米の番を兼ね、地震前と同じく、自宅の向かいに建つ作業所暮らしに復帰した。



 樺澤さん宅ではちょうど夕飯時だった。「最初、ドーンとものすごい音がして、飛行機が落ちたのかな、と」。すぐに激しい縦揺れが起こり、家具が倒れ、壁が崩れ、ガラスが割れた。樺澤正夫さんはおびえる愛犬タローを抱き、母の道子さんや遊びに来ていたおいたちと戸外に飛び出した。
 電気もガスも水道も途絶え、携帯電話も通じない。ズボンのポケットに庭へ止めた軽トラックの鍵があり、みんなで狭い車内に避難した。しかし、強い余震のたびに車が揺れ、自宅がきしむ。山中のためカーラジオも雑音ばかりで、何が起こったのか分からないまま、朝を迎えた。周りを見ると、あちこちで山が崩れ、道や田んぼが地割れし、せき止められた川がダム化している。正夫さんは事の重大さにぼうぜんとした。

樺澤さん親子と愛犬タロー

 その後、道路が寸断され、陸の孤島となった山古志村から、全住民は着の身着のままで自衛隊の大型ヘリに乗り、長岡市へ緊急避難する。動物はヘリに乗せられないと言われ、地震二日後、正夫さんたちは、やむなくタローを自宅に残し、水と食べ物をいっぱい置いて離村した。「最初、自衛隊さんは、“いい”って言ったんです。でも、警察の人が“あきらめてくれ”と。でも、タローとは家族として寝食を共にしているじゃないですか。それを、誰もいないところに置いてくるなんて…」
 タローは昨春、新潟県内の動物救護組織に保護された後、正夫さんが引き取り、山古志で平和な生活を始めたばかりだった。そんなタローの身を案じた正夫さんは、緊急避難の直後、新潟に住む妹一家に連絡。その夜のうちにご主人の車に同乗して、長岡から柏崎、六日町と迂回し、唯一、どうにか通行できる、それでもあちこち陥没する危険な夜道をそろそろと走って山古志村へ。無事タローを救出し、深夜、新潟市近くの阿賀野市にいる知人宅に預けた。
 正夫さん一家は五十日近く避難所で暮らした後、昨年十二月に仮設住宅へ移った。少し落ち着きを取り戻した今年一月初め、みんなでタローを迎えに阿賀野市へ行った。「地震のあと、タローは、風が吹いたり、雷が鳴ったりすると、おびえてね」。雪解け後、住民たちは日中だけ旧・山古志村に戻れるようになり、正夫さんも毎日仮設から往復二時間をかけて通い、農作業を開始した。帰宅時間が近づくと、毎夕、タローは玄関口で正夫さんを待っているという。



 地震は土曜日の夕方で、診療も終わって、患者さんも職員も帰った後だったので、運がよかったですね」。もっとも、突然のすさまじい揺れで、重い手術台まで倒れるほど。身の危険を感じた松井潤次先生一家はすぐ外に出て、物置からアウトドア用具を取り出し、隣の空き地にテントを設営した。ほどなく近所の人々も同じ空き地に避難し、キャンプ生活が始まった。その後、市当局がその空き地を“避難所”に登録してくれ、救援物資の配給を受けることができた。
 地震翌日から、ケガをした愛犬を連れて、顔なじみの飼い主たちがやって来た。松井先生は院内から往診かばんと診察台を運び出し、診療を再開。うわさを聞いた患者が日ごとに増えていった。
 最初の一週間は外傷などの外科系の治療が多かったが、手術を必要とするほどの動物はいなかった。二週目には、地震と避難生活のストレスで、下痢などの消化器系の病気が目立ってきた。三週目以降は、「うちの猫が戻ってきたので健康診断を」という飼い主が増えた。松井先生によれば、一月になって自力で家に戻ってきた猫もいたとか。「山間の猫はたくましく、ネズミやウサギを捕っていたようです」。やがて山古志村や小千谷市内などで保護された動物たちが連れてこられ、松井動物病院でも、犬十四頭、猫二十匹ほどを預かり、今も犬一頭を保護中、とか。
 「小千谷市でも、山古志村に接する東山地区は被害がひどくて、現在もほとんどが仮設住宅暮らしです」。また、小千谷の市街地でも、ペット同伴の人たちは避難所にも避難テントにも入れず、窮屈な車中生活を強いられたケースも多かった。「実は、愛犬三頭と車中暮らしを続け、エコノミークラス症候群で亡くなった方も、うちの患者さんでした」
 松井動物病院は、小千谷・川口地区で開業するほとんど唯一の動物病院で、来院する犬や猫たちの診療に追われ、被災地を巡回できず、心残りもある、と松井先生は言う。「今後、地域ごとに災害対応マニュアルを作る時、ぜひ、動物への対応を組みこんでほしいですね。そして、例えば、どことどこの避難所はペット可、と指定してくれれば、犬や猫と暮らす人々はそこへ避難でき、支援の獣医師やボランティアも活動しやすく、少しでも悲劇を防ぐことができるんじゃないでしょうか」



*この記事は、2005年7月20日発行のものです。


●取材協力
松井動物病院院長・松井潤次さん(新潟県小千谷市)
福原さん一家(小千谷市)
宮さん一家(川口町)
樺澤さん一家(旧山古志村)

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