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遠藤敬さん
大阪府高石市在住。中学2年生で秋田犬保存会の会員になり、以後、秋田犬の作出に全力を注ぎ込む。 |
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大阪府高石市の遠藤敬さん宅を訪ねると、いかにも気の良さそうな秋田犬がしっぽを振って出迎えてくれた。間近で見ると、大きさより、愛らしい表情やしぐさに魅入られた。
「秋田犬は、日本犬の中でも、色合いが、まるで水墨画のように絶妙にきれいです。それに、主人に対する感情がひときわ深いんです」。そう話す遠藤さんの横で、二人の娘さんが、ずしりと重い、ぬいぐるみのような子犬を抱き上げる。 遠藤さんが初めて秋田犬と出会ったのは、20年前の小学6年生の時。それまで子犬を拾っては育てていたが、「同じ飼うなら、気の利いた犬を飼おうか」と、妹とお年玉を出し合い、父の支援を得て秋田犬を求めた。中学2年生で秋田犬保存会の会員に。各地で開催される展覧会を回り、自宅の犬を出品していた。「そのころは、30頭いたら30番というように、いつ出してもビリでね(笑)」 年ごとに熱中し、高校時代には5、6頭も秋田犬がいた。「僕、やんちゃだったので、父も母も、犬を飼えば、朝晩、散歩や犬の世話で、夜、街をうろつかないだろうと思ったのかも」と、遠藤さんは楽しそうに言い、同級生と付き合うより、保存会のおじさん方と過ごす時間のほうが多かったと付け加えた。 20歳で仕事を始め、余暇は計画的な秋田犬の作出に全力を注ぎ込んだ。しかし、優良な血統を追いかけて交配を繰り返しても、どこかで行き詰まる。「そこで別のアクションを起こさないと、次に続かない。その難しさを感じるかどうかですね」。結局、どうにか「これは遠藤のところの犬」という、独特の風貌、個性を持つ秋田犬を固定化できるまで15年余りかかったという。 「今、保存会の会員も高齢化が進み、秋田犬の飼育頭数も減ってきました。とにかく、若い人たちに、本当の犬の魅力、日本犬の魅力、秋田犬の魅力を再認識してもらえたら、と思います」 |
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小林 連治さん
山梨県北杜市在住。甲斐犬愛護会に所属する「甲斐犬源友会」代表。甲斐犬の虜になり、愛護と普及に力を注ぐ。 |
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目の前に甲斐駒ケ岳を望む山梨県北杜市の別荘地で、現在、甲斐犬たちと悠々自適の日々を送っているのが小林連治さんだ。
東京生まれで東京育ちの小林さんは、川崎市に住んでいた20年ほど前、山梨の知人から甲斐犬を譲られて飼い始め、その虜になった。 「甲斐犬の魅力は日本犬の中でも“原種”に近いこと。見た目は地味ですが、人間が何を言わんとするかを察知する“利口さ”があり、わび・さびという、日本人の気持ちに通じるものを持っています」 会社経営者だった小林さんは、晴耕雨読にあこがれて引退した後、山梨県内の牧場を借りて甲斐犬の愛護と普及に力を注ぎ、甲斐犬愛護会に所属する「甲斐犬源友会」代表となった。「同じ甲斐犬でも、いい犬を作りたい、それがわたしたちの仲間の一番の目的です」 しかし、長らく人里離れた山中で生きてきた甲斐犬だから、“いい犬”同士を交配させても、“いい犬”が生まれるとは限らない。小林さんは容姿の優れた犬は展覧会を志す人に、それほどでもない犬は家庭犬を望む人に譲っている。 なお、小林さんは牧場住まいの後、いったん川崎に戻り、1年前、知人の保有する、南アルプス山麓の別荘に移住した。「越してきた時、野生のサルの群れに出合って驚きました。甲斐犬が山の中を走る姿は本当にいいですね。キジでも近くにいると、すぐにポイントします」。愛犬「水無月」と雑木林を歩きながら、小林さんは目を細めた。 甲斐犬はかつて“幻の日本犬”と形容された。しかし近年、源友会のホームページを見て、若い夫婦は家庭犬に、年配者は山歩きに「ぜひ、甲斐犬を」と入会する人が増えた。春秋、山梨県内で開かれる展覧会に、東北や九州から参加する若い会員もいるとか。 「このごろは、若い女の人や家族連れが展覧会にやって来て、にぎやかですよ。これも、“時代”ですかね」 |
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近藤 克之さん
千葉県市川市在住。約20年前に紀州犬の子犬「チビ」を飼い始めたのをきっかけに、その魅力にはまり、多くの紀州犬を育てている。 |
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千葉県市川市の郊外に、多くの紀州犬と住む近藤克之さんは、父が大の犬好きで、物心つく前から、シェパードやポインター、セターなどのいろんな犬と暮らしてきた。しかし、近藤さんが初めて紀州犬に出会ったのは、約20年前。知り合いの獣医師から、どこかの誰かが飼えなくなって手放した1頭の子犬「チビ」をもらったのである。
チビは頑固一徹なところがあったが、頭が良く、しかられるようなことは一度もなし。ところが、ある時、チビの子「ユウキ」を展覧会に出して驚いた。何頭もの犬が並ぶ2次審査会場で、突然、寝転んで動かない。「ユウキは、姿形で犬の良し悪しを決められてたまるか、とでも言いたそうでした(笑)」 一方、山遊びに行けば大喜び。そこで近藤さんは狩猟の免許を取り、ユウキの潜在能力を発揮させるため、猟期になると、毎週、猟に出かけた。するとユウキは、俊敏、果敢に獲物を見つけ、向かっていく。それを見て近藤さんは、ショードッグとしても、猟犬としても、番犬としても、家庭犬としても、超一流の紀州犬を育てたいという、途方もない夢を抱いた。 以来15年以上、紀州犬について、あるいは犬と人間との歴史を学びながら、各地から優良な犬を計画的に導入し、作出に努めた。「ところが詰め将棋みたいに、あと一手で詰むところまで来るんだけど、最後の一手がない。その結果、大した成果はあがらず、頭数だけ増えました(笑)」と近藤さんは言い、ひざ元に寄ってきた、かつての名猟犬で、今はのどかに引退生活を過ごす愛犬「ブン」の頭をなでた。 紀州犬がいくら強くても、正面切って戦って、クマやイノシシに勝てるわけではない。相手が強ければ逃げる。そんな駆け引きのできる犬こそすばらしい。また、たとえ獲物に弱くても、ケガをせず、社会性を備えて他人に迷惑をかけず、家に帰ると、何気なく一緒に生活し、普段、側にいるのを忘れるぐらいの家庭犬になれば、けだし名犬だろう、と近藤さんは結んだ。 |
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| *この記事は、2006年1月20日発行のものです。 |
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