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真新しい「おもちゃ電車」に乗って、わかやま電鉄貴志川線和歌山駅(JR和歌山駅9番線ホーム)から東方に向かって約30分。田んぼやみかん畑、雑木林など緑豊かな丘陵が続くのどかな田園風景をコトコト揺られていくと、終点の「貴志駅」に着いた。
ホームに降りてのんびり出口に向かうと、改札口辺りに人だかりがする。前に立つ人の肩越しにのぞくと、改札台の上に立派な制帽をかぶった「駅たま」こと、駅長の三毛猫「たま」が座っていた。
駅構内の売店「小山商店」のアイドル「たま」が無人駅である貴志駅駅長に就任したのは2007年1月5日。以来、毎日、朝9時から夕方5時まで勤務して子どもたちから学生、サラリーマン、お年寄りまでいろんな乗降客を出迎え、見送っている(日曜日は休み)。以前は電車の発着が苦手だったが、最近は慣れ、売店を切り盛りする飼い主の小山さんと一緒にホームを巡回することもある。
そんな猫の駅長さんに会うため、地元和歌山を始め、大阪や奈良などの関西、さらには東京方面から夜行列車「銀河」や夜行バスに乗ってやって来るファンもいる。「昨日も雨の中、大阪のおばさんたちが来てくれて、ひとりの方はたまの仕事ぶりに涙ぐんでおられました」と小山さんは言う。とりわけ週末や連休、春休みや夏休みは、たまお目当ての家族連れも多く、普段は静かな終着駅が、終日にぎわいを見せている。
駅長たまは、数奇な運命を背負った猫である。話は9年ほど前にさかのぼる。
貴志駅のひとつ手前「甘露寺前駅」近くで、当時、南海電気鉄道貴志川線駅舎の清掃作業を行っていたおじさんが茶トラの子猫を拾い、貴志駅に連れて来て飼いだした。それがたまの母となる「ミーコ」で、やがて駅売店の小山さんが世話することになった。
子猫から若猫へ育ったミーコのおなかが膨らんできて、子猫が何匹か生まれた。その中の三毛の子猫がたまで、1匹だけ親元に残されることになった。小山さんによれば、父親は、かのアイドル猫「はっちゃん」そっくりの野良猫だったとか。
「赤ちゃんの時から、たまは光っていました」。
たまは慈愛に富んだ猫で、翌年、小山さんが保護した瀕死の子猫「ちび」を温めて命を救い、神社に捨てられていた子犬を育てたこともある。「お母さんにしかられて泣いているお子さんをなめに行ったり、わたしが疲れていると、“お母さん、頑張れ”と慰めてくれたり」と小山さんは語る。
そんなたまのこと、貴志駅で乗り降りする人々皆に愛され、地元で知らない人のいない“癒やし猫”となった。
ところが3年前の04年、突然、たま一族の未来に暗雲が漂いだした。貴志川線を運営してきた南海電鉄が、赤字路線だった同線廃止の意向を発表したのである。
90年の歴史を持ち、和歌山市の玄関・JR和歌山駅に直結する貴志川線は、終点・貴志駅のある貴志川町(現、紀の川市)を始め、沿線の人々の重要な生活手段であり、心のよりどころとして親しまれてきた。すぐに地域の人々による貴志川線存続を訴える市民運動が始まり、多くの賛同者を得た。
そこで、和歌山市と貴志川町が和歌山県の支援を受けて、05年2月、同線の事業引き継ぎ先を公募。同年4月、岡山市で路面電車を運営する岡山電気軌道が事業委託者に選ばれた。そして2か月後に貴志川線を運営する事業会社「和歌山電鐵(通称、わかやま電鉄)」を設立。運営体制を改革して、06年4月、南海電鉄から事業を引き継いだ。
「わかやま電鉄貴志川線」では経営効率化、合理化と利便性の向上、集客力アップに取り組み、新企画を展開していった。そのひとつが、いちご狩りで知られる貴志駅周辺をアピールするために06年8月に導入した「いちご電車」であった。
新車両が発着する貴志駅で、たま一族は新たな苦難に直面する。南海電鉄に代わって貴志駅周辺の土地を保有する貴志川町から、駅の売店脇に設置された猫小屋の撤去を求められたのである。
しばらくのち、岡山から現地視察に訪れた社長の小嶋光信さんに、小山さんは「うちの猫たちを助けてください」と涙ながらに訴えた。たまを気に入った小嶋さんは駅舎内に猫小屋をつくることに決め、「駅舎に住むからには、たまに駅長をやってもらいたい」と粋な条件を出した。そして07年1月5日、小嶋さんは委嘱状を携えて貴志駅を訪問。たまは正式に貴志駅駅長となり、母猫のミーコと同居猫のちびが同駅助役となった。
広報部長の山木慶子さんによれば、貴志川線は事業初年度、地域の人々の支援やいちご電車導入などで利用客数が約10%増加。たまが駅長に就任した1月には7%も増え、5月の連休には前年比40%も増えたという。07年夏には「おもちゃ電車」もデビュー。注目度も一層高まりつつある。
「貴志川線は、もっと利用を促進していかないと、将来的に存続が難しい。一生懸命情報を発信して、地元を始め各地の方々にわかやま電鉄や自然と歴史に恵まれた周辺地域をもっと知っていただきたい。その意味でも、たまに駅長をやってもらって本当に良かった」と言って、山木さんは、ボランティア団体「貴志川線の未来を“つくる”会」がホーム脇に掲げる「もっと! ずっと! 貴志川線」の標語を見つめた。

『たまの駅長だより』
(集英社)
わかやま電鉄オリジナルグッズ
左からノート・ポストカード・鉛筆
伊太祈曽(いだきそ)駅で発売中
ボールを入れる特製グラブ型バスケットをくわえてお仕事中のエルフ
(写真提供:テレビ東京)

2007年11月14日午後、ベースボールドッグ「エルフ」はトレーナーの遠藤和博さんと一緒に、初めて東京ドームにやってきた。夕方6時30分試合開始の07年プロ野球マスターズリーグ「東京ドリームスVS大阪ロマンズ」の始球式に参加するためである。
しばらく1塁側ベンチ裏の控え室で待機していたエルフは、東京ドリームスの練習が始まるのを待ちかねてグラウンドに登場。顔なじみの、元千葉ロッテの初芝選手を見つけるとうれしそうにしっぽを振って近づいていった。マスターズリーグは初登場なのにあちこちから声がかかる。土橋監督がひざをついて東京ドリームスの帽子をかぶせてくれる。プロ野球キャスターの佐々木信也さんが笑顔でエルフの頭をなで、この日先発の江夏コーチ兼任投手がベンチから身を乗り出して体をなでてくれた。
やがて大阪ロマンズの練習も終了。両軍選手がベンチ前に整列して国歌斉唱ののち、東京ドリームスの選手たちが守備位置へ。マウンドに立つ江夏投手のそばに、始球式を務める作家の逢坂剛さんが現れた。1塁ベンチ前にスタンバイしたエルフは、遠藤トレーナーの指示でボールの入った特製グラブ型バスケットをくわえてゆっくりとマウンドへ。逢坂さんの脇に座ってボールを取ってもらい、満足げに遠藤トレーナーのもとに戻ってきた。
「東京ドームは初めてなので、ちょっと心配したんですが、エルフは自信を持って役目を果たしてくれました」と、ほっとした表情で遠藤トレーナーはつぶやいた。
エルフが一人前の「ベースボールドッグ」になるまでに、実は生前からの、親子2代にわたる物語がある。
千葉県松戸市に暮らす外谷さん一家に02年6月、待望の子犬、黒ラブの「ダイアン」が加わった。彼女は元気いっぱいに成長し、やがて2歳半ばの娘盛りを迎えた。以前からダイアンの赤ちゃんがほしいと言っていた外谷家の娘さん(当時小学生)が、テレビ東京の人気番組「ペット大集合! ポチたま」の人気者・黄ラブの「旅犬まさお君」が花嫁を募集しているのを知り、応募はがきを出した。
まさかと思っているうちにダイアンは書類選考をパスして面接選考会へ。まさお君との相性が良かったためか、花嫁に選ばれた。そうして05年春に“結婚”。家族を始め番組スタッフが気遣う中、同年6月12日未明、ダイアンは難産の末、7頭の元気な子犬を産んだ。うち5頭は各地の視聴者家族に引き取られ、末息子「だいすけ君」は父まさお君を継いで2代目旅犬に。一方、自宅に残った愛娘エルフは母ダイアンと外谷家皆の愛情を一身に受けてすくすく育っていった。
「エルフは赤ちゃんの時から自立していて、すごくおてんばで」と育ての親の外谷幸子さんは言う。
05年初冬、生後半年前後のエルフに大きな転機がやってきた。その年、日本一に輝いた千葉ロッテマリーンズのベースボールドッグとしてデビューすることになったのである。
その後訓練を受けたエルフは06年3月30日、千葉マリンスタジアムでの開幕戦始球式でデビュー。しかし、大歓声の公式戦に若いエルフは浮足だってグラウンドを駆け回り、役目を果たせなかった。
「出るたびに、また失敗するかと思うと胃が痛くなって。でもできた時は、子どもが受験に受かった時よりもうれしくて(笑)」と、幸子さんはデビュー当時を振り返る。
結局、失敗が目立ったエルフは2軍で調整。新たに柏市在住のドッグトレーナー遠藤さんが訓練を担当した。遠藤さんは母犬ダイアンを訓練したことがあり、旧知の間柄。エルフと確かな信頼関係を築いて訓練をやり直し、見事、エルフは1軍復帰を成し遂げた。
エルフは日ごとに自信をつけ、成功すると「帰ってきたぞ」というように興奮して帰宅。出迎えたダイアンと家中走り回るとか。
07年春から、エルフは「野球を頑張っている人を応援に行きます!」を合言葉に、元五輪チームを率いた宇津木監督が指導する女子ソフトボールチーム「ルネサス高崎」や、欽ちゃん球団こと萩本欽一さん率いる「茨城ゴールデンゴールズ」の試合に参加するなど、各地で懸命にプレーする選手やチームを励まし始めた。そんな中、茨城県の少年野球チームのキャプテンから、テレビ東京にエルフの応援を依頼する便りが届いた。同チームはずっと負け続けで、勝ったことがない。「エルフが応援に来てくれたら、チームの皆も頑張ると思う」という内容だった。
そこでエルフは合宿にも参加。地域の少年野球大会当日、エルフの応援に勇気づけられたチームメートは、1回戦、2回戦と勝ち続け、決勝戦でも強敵に圧勝。試合後、わんわん泣きながらエルフの周りに集まった。
「あの時、遠藤さんも泣いておられました。僕は、番組放送中、出演者の方々が泣いておられるのを見て、涙が出てきました」と「ポチたま」の取材ディレクター・根本竜一さんは言い、「僕もまさか優勝までするとは思っていなかったんですが、人は、何かを信じて、きっかけさえあれば、すごいことができるんですね」と瞳を輝かせた。
茨城ゴールデンゴールズや少年野球チームの応援に駆けつけるエルフ
(写真提供:テレビ東京)
『エルフ! マリーンズドッグ26+1』
(ジュリアン)
| *この記事は、2007年12月20日発行のものです。 |
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